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ザ・シンフォニカ 第41回定期演奏会 | ||||||||||||||||
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指揮者の紹介 | ||||||||||||||||
大山平一郎( Heiichiro Ohyama) | ||||||||||||||||
大山平一郎は、指揮者、ヴィオリスト、室内楽奏者、また音楽監督として、その卓越した才能が高く評価されている。現在は大阪シンフォニカー交響楽団ミュージック・アドバイザー兼首席指揮者、サンタ・バーバラ室内オーケストラ音楽監督兼指揮者を務めている。 京都生まれ。桐朋学園、英国ギルドホール音楽学校、米国インディアナ大学で学ぶ。この間BBCベートーヴェン室内楽コンクール、カールフレッシュ国際ヴァイオリン・コンクールに入賞。インディアナ大学コンクールではヴァイオリン・ヴィオラ両部門で同時優勝を果たした。 マールボロ音楽祭にヴィオリストとして参加を機に、著名な音楽家と共演する。その中には、チョン・ミョンフン、ラドゥ・ルプー、アイザック・スターン、ギドン・クレーメル、ピンカス・ズーカーマン、ミッシャ・マイスキー、リン・ハレル、ジェシー・ノーマンらが含まれる。 1973年、カリフォルニア大学助教授に就任、翌年ニューヨーク国際ヤング・コンサート・アーティスト賞を受賞。 1979年、指揮者カルロ・マリア・ジュリーニ率いるロスアンジェルス・フィルハーモニックの首席ヴィオラ奏者に任命された後、指揮の勉強を始める。その後、アンドレ・プレヴィンより同楽団の副指揮者にも任命され、数多くのコンサートを指揮する。 ヨーロッパでは、1990年、オペラ・リヨン(仏)、ロイヤル・フィルハ−モニック管弦楽団(英)を指揮。1991年には京都市交響楽団で日本デビュー。 これまでに、ロスアンジェルス日米交響楽団音楽監督兼指揮者、サンタフェ室内楽音楽祭芸術監督、ニューヨーク州カユガ室内オーケストラ音楽監督兼指揮者、ラホイヤ室内楽音楽祭芸術監督、カリフォルニア大学教授などを歴任。ロスアンジェルス日米交響楽団とは、1992年に日本演奏旅行を行った。 レコーディングも数々多く行なっているが、日本エヴィカでリリースしたピアニスト・園田高弘と九州交響楽団との「ベートーヴェン“ピアノ協奏曲”全集」のCDは特に高く評価されている。 (2005年6月) |
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副指揮者の紹介 | ||||||||||||||||
内藤 佳有 (Karl Naito) | ||||||||||||||||
「With respect and love!(Kimbo Ishii-Eto)」 東京大学卒業。桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマ・コース (指揮専攻)で音楽を学ぶ。ピアニストとして「日本の作曲家’97」、ロイヤルメトロポリタン管弦楽団、桐朋学園大学卒業演奏会、ザ・シンフォニカ定期演奏会などに出演、2002〜4年日本クラシック音楽コンクールに於て伴奏者としてグランプリ・最高位に貢献する。指揮者として大阪市音楽団、都響アンサンブル・アロイヴ、TAMA21交響楽団「第九」、東京オペラシンガーズ、二期会試演会、一柳慧氏の推挙により氏のオペラ「モモ」を指揮、また上野学園創立100周年記念定期演奏会(横山幸雄、矢部達哉、原田禎夫、島崎智子、村上曜子の各氏と共演)を大成功に導く一方、アシスタントとして三石精一、早川正昭、H.シェレンベルガー、E.マッツォーラ、金洪才、今村能、現田茂夫、山下一史、キンボー・イシイ=エトウの各氏らの信頼も厚い。二期会オペラ研修所指揮者、東京オペラ・プロデュース副指揮者、尚美学園講師を歴任し、現在、東京農業大学農友会管弦楽団常任指揮者、みたかジュニア・オーケストラ及びクール・ブリアーン指揮者、ザ・シンフォニカ副指揮者、上野学園大学非常勤講師。2005年11月より新日フィルで音楽監督C.アルミンク氏のアシスタントを行っている。 |
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曲目の紹介 | ||||||||||||||||
ベートーヴェン/「レオノーレ」序曲第3番 | ||||||||||||||||
これは、ベートーヴェンが、自らのただひとつオペラのために作曲した序曲です。ベートーヴェンはそのオペラに心血を注ぎ、上演の機会があるたびに改訂をくり返したのですが、この「レオノーレ」第3番は、その最初の改訂上演の際に作られました。無実の罪で監獄に入れられた夫を、その妻レオノーレが男装して監獄に潜入し助け出すというストーリーのこのオペラ、最終的には「フィデリオ」という題名になり、序曲も別なものが作曲されて大成功を収めたのですが、この「レオノーレ」第3番は、その音楽的な魅力と完成度の高さから、しばしば単独で演奏されており、ベートーヴェンの管弦楽曲の中でも最も人気の高いもののひとつになっています。 | ||||||||||||||||
ヒンデミット/交響曲「画家マティス」 | ||||||||||||||||
パウル・ヒンデミットは、主に20世紀前半に活躍したドイツの作曲家です。タイトルにあるマチスとは、15世紀に活躍したドイツの画家マチス・グリューネヴァルトのことで(フランス近代のアンリ・マチスではありません)、この交響曲は、この画家を主人公にしたオペラのための音楽から作られました。オペラの物語は、当時のカトリックとプロテスタントの争いのただなかで画家が苦悩するといった内容なのですが、この交響曲では、3つの楽章にそれぞれマチスの絵をイメージした「天使の奏楽」「埋葬」「聖アントニウスの誘惑」というタイトルがつけられていて、それらにふさわしい荘厳な、または怪しい雰囲気に満ちた音楽が繰り広げられています。 | ||||||||||||||||
シューマン/交響曲第2番 ハ長調 | ||||||||||||||||
シューマンは1843年ごろから、心身の不調に悩まされるようになり、翌年にはライプツィヒ音楽院の職を辞し、年末には転地療養のためドレスデンに転居します。病状が好転しないなか、シューマンは新たな交響曲の作曲にとりかかり、病に苦しみながら1846年に完成させます。彼はこの時期のことを、「この交響曲を書いた1845年12月、私はまだ半分病気だった。…しかし終楽章を書き終わらないうちに、私は自分が半分回復していることを実感した。」と振り返っています。このような状況にもかかわらず、4つの楽章はモティーフが相互に関連しているなど、構成面でも新しさがみられ、シューマンの個性が色濃く出た作品ということができるでしょう。 | ||||||||||||||||
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ザ・シンフォニカよりごあいさつ | ||||||||||||||||
ザ・シンフォニカは1986年、大学を卒業したての新米社会人と学生を中心に発足しました。20周年も越え、メンバーの大半が職場や家庭で重要な役割を担う世代になり、時間的な制約が厳しくなる中、「良い音楽」への思いを強くし、何よりも「このオーケストラが好きだ」という気持ちで現在まで活動を続けてきました。 今回は大山平一郎先生を初めてお迎えし、ドイツもの3曲に取り組みます。ひとりでも多くのお客様が、私どもと演奏を通して素敵な時間を共有してくださることを願いつつ、団員一同、練習に励んでいます。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。 |
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今後の演奏会情報 | ||||||||||||||||
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前回演奏会情報 ザ・シンフォニカのページへ |
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