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ザ・シンフォニカ 第28回定期演奏会 | ||||||||||
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指揮者の紹介 | ||||||||||
三石 精一(Seiichi Mitsuishi) | ||||||||||
東京芸術大学指揮科卒業。1956年メノッティ作曲「泥棒とオールドミス」「電話」の指揮でデビュー。1959年ブリテン作曲「小さな煙突掃除」、ラベル作曲「スペインの時」を初演するなど、藤原歌劇団指揮者として、主にオペラやバレエの分野で活躍し、一躍脚光を浴びる。1969年読売日本交響楽団を指揮して第一回リサイタルを開いて絶賛を博し、その後各オーケストラに客演する。1973年に渡欧、ヨーロッパ各地でオーケストラ及びオペラの研究を重ねた。1977年文化庁海外研修員として派遣され、ウイーンとミュンヘンで研鑚を積み1978年帰国。1979年読売日本交響楽団の専任指揮者に就任。1981年には同楽団のヨーロッパ公演に同行し、東ベルリン、その他で大成功を収めた。1986年読売日本交響楽団を退団し、全国各地のオーケストラに客演して活躍する一方、東京音楽大学指揮科主任教授として後進の指導にも当っている。1997年より東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督・常任指揮者に就任。 | ||||||||||
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ソリスト・副指揮者の紹介 | ||||||||||
内藤 佳有(Karl Naito) | ||||||||||
東京生れ。東京大学工学部卒業。同研究室を経て、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマ・コース(指揮専攻)で音楽を学ぶ。 幼少よりピアノを、また東京大学在学中からチェロを始め、東京大学音楽部管弦楽団及びジュネス・ミュジカル・シンフォニー・オーケストラを中心に活躍し、ザ・シンフォニカの創立にも参画する。 演奏家としてはこれまで中山良夫、故大平貴規、廻由美子、若林暢、向山佳絵子、菊地知也、矢野晴子、野口千代光、半田美和子の各氏をはじめ数多くの音楽家と共演し、ロイヤルメトロポリタン管弦楽団、桐朋学園オーケストラ、同チェロアンサンブル、同大学卒業演奏会等に出演する。 指揮者としてはオペラから現代音楽まで幅広く活動し、最近では大阪市音楽団、ブルーメン・フィルハーモニー、グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ、TAMA21交響楽団「第九」、桐朋学園 Orchestra Alba、同シンフォニックウィンズ、同作曲科作品展、同チェロアンサンブル、東京オペラシンガーズ、二期会試演会、また一柳慧氏の推挙により氏のオペラ「モモ」を指揮する。共演した著名演奏家も、例えば菅原淳氏(打楽器)、山岸博氏(ホルン)、篠原正志氏(ギター)、山口裕子氏(ハープ)、名古屋木実氏(声楽)、浜田理恵氏(声楽)等々と多彩である。 これまでピアノを安藤仁一朗、故前川幸子、小林仁、藤井一興、チェロを清水勝雄、毛利伯郎、室内楽を山口裕之、指揮を堤俊作の各氏に師事し、古楽演奏解釈では有田正広氏の薫陶を受ける。 現在二期会オペラ研修所指揮者、九州吹奏楽指揮者セミナー講師、ザ・シンフォニカ副指揮者。 |
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ザ・シンフォニカって、どんなオーケストラ? | ||||||||||
「いつまでもできる限りいい音楽をやりたい」という共通の情熱を持つメンバーが集まってオーケストラを作ったのは1986年。結成当時のメンバーの中心は大学を卒業してまだ日の浅い社会人でした。 それから14年、私たちをとりまく社会は大きく変化し、団員それぞれの生活もまたさまざまに変わってきています。 日々職場で家庭で仕事に追われる私たちが音楽性や技術を磨いていくのは難しく、毎回の演奏会のプログラムは私たちに重くのしかかってきます。しかし一人ひとりがここで音楽ができることに喜びを感じで、できる限り高いレベルの演奏を目指して、力をつくす。それが私たち「ザ・シンフォニカ」の最大の長所だと考えています。 素晴らしい音楽から得られる何ものにも代え難い喜びを、聴きにきてくださるお客様と私たちで共有できれば最高です。 |
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今後の演奏会情報 | ||||||||||
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