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ザ・シンフォニカ 第34回定期演奏会 | |||||||||||
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指揮者の紹介 | |||||||||||
山下 一史(Kazufumi Yamashita) | |||||||||||
1977年桐朋学園高校音楽科に入学。チェロを井上頼豊氏に、指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、(故)森正の各氏に師事。 1982年「第17回民音指揮コンクール」で奨励賞を受賞。 1984年桐朋学園大学を卒業後、ベルリン芸術大学に留学、1986年デンマークで開かれたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝する。 1985年12月からヘルベルト・フォン・カラヤンの亡くなるまで彼のアシスタントをつとめ、86年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、急遽、急病のカラヤンの代役として、ジーンス姿のまま「第9」を指揮し、話題となった。その成功以来、ザルツブルク・フィングステン音楽祭でカラヤンのスタンバイ指揮者として契約、以後、デンマーク放送交響楽団、ライナス交響楽団、ソンダーイルランド交響楽団などを指揮、着実にヨーロッパでの実績を重ね、1993年から1998年までヘルシンボリ交響楽団(スウェーデン)の首席客演指揮者をつとめた。1998、1999年と連続して、スウェーデンの名門、マルメ交響楽団の定期公演、1999年3月にはオークランド交響楽団(ニュージーランド)の定期公演に出演した。 日本国内では1988年「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団を指揮してデビューを飾り、以後、国内の主要オーケストラに定期的に出演し、好評を得ている。NHK交響楽団の副指揮者(88年〜95年)、オーケストラ・アンサンブル金沢のプリンシパル・ゲスト・コンダクター(90年〜92年)、同団パーマネント・ゲスト・コンダクター(92年〜93年)、九州交響楽団の常任指揮者(96年〜99年)をつとめた。現代作品の演奏にも定評があり、1996年日本音楽コンクール作曲部門の指揮において審査員特別賞を受賞した。大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスでは2001年夏のモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》公演に続き、2002年夏のモーツァルト《魔笛》公演を指揮、本格的なオペラ・プロジェクトへの意欲のある取り組みにますます高い評価を得ている。 2002年4月よりオペラハウス管弦楽団常任指揮者を務める。 (2003年2月現在) |
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独奏者の紹介 | |||||||||||
川上 徹(Toru Kawakami) | |||||||||||
桐朋学園音楽学部を経てアメリカ、ハンガリーに留学。その間、特別奨学生としてアスペン、サンタバーバラ、ラヴィニアの各音楽祭に参加。サンタバーバラでは室内楽プライズを受賞。その他、‘91年日本室内楽コンクール第二位、‘97年宮城県芸術選奨新人賞を受賞。NHK/FM『ベスト・オブ・クラシック』などに数多く出演。
帰国後は仙台フィルハーモニー管弦楽団、神戸市室内合奏団のそれぞれ首席チェロ奏者を経て、’98年より小澤征爾氏に認められ、新日本フィルハーモニー交響楽団の首席奏者に就任。一方、リサイタルや外山雄三氏、ゲルハルト・ボッセ氏とチェロ協奏曲を共演するなど、ソリストとしても活躍。また、国内外の優れたオーケストラプレーヤーによって結成されたオールジャパン・オーケストラや、小澤征爾氏率いるサイトウキネン・オーケストラで、首席に抜擢される。
'01年秋には、三大テノールの一人、ホセ・カレラスと共演、今後の更なる活躍が期待されている。
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成田 寛(Hiroshi Narita) | |||||||||||
1966年東京都生まれ。4歳よりヴァイオリンを始める。84年桐朋学園大学音楽学部ヴァイオリン科に入学。85年ヴィオラ科に転科。86年古典音楽協会とテレマンのヴィオラ協奏曲を共演。同年、新日本フィルハーモニー交響楽団に入団、同時に桐朋学園大学を中退。89〜90年、93〜94年の二度にわたりオランダ、デン・ハーグ王立音楽院に留学。92年川口リリアホールにてリサイタルを開催。また、KISA Quartetのメンバーとして95〜97年秩父、およびロンドンで行われたアマデウス・カルテット・セミナーに定期的に参加。アマデウス・カルテットメンバーより薫陶を受け、「ベートーヴェンの後期の作品について語り合える、希有な団体」と評された。96年の参加時にはロンドン・ロイヤルポートレートギャラリーに於いてのアフタヌーン・コンサートの出演団体に抜擢された。大阪国際室内楽コンクール入選。96年新日本フィルハーモニー交響楽団を退団。97年、新星日本交響楽団の首席ヴィオラ奏者に就任。2000年7月、新星日響の定期演奏会にてヴァイオリンの石田泰尚氏(現神奈川フィルハーモニー、コンサートマスター)とモーツアルトの「協奏交響曲」を共演、好評を博す。2001年、東京フィルハーモニー交響楽団との合併により同団の首席ヴィオラ奏者となる。2003年4月、音楽家としての自分を見つめ直すため東京フィルハーモニーを退団。現在の活動は、山形交響楽団ゲスト首席、室内楽、ソロ、スタジオレコーディング等。 これまでにヴァイオリンを神良聡子、三瓶詠子、ヴィオラを中山朋子、ウラディーミル・メンデルスゾーン、リスベス・ステフェンス、室内楽をノーバート・ブレイニン、ジークムント・ニッセル、マーティン・ロベット、有田正弘、鈴木秀美、中川良平の各氏に師事。 |
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副指揮者の紹介 | |||||||||||
内藤 佳有(Karl Naito) | |||||||||||
東京生れ。東京大学工学部卒業。同研究室を経て、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマ・コース(指揮専攻)で音楽を学ぶ。 幼少よりピアノを、また東京大学在学中からチェロを始め、東京大学音楽部管弦楽団及びジュネス・ミュジカル・シンフォニー・オーケストラを中心に活躍し、ザ・シンフォニカの創立にも参画する。 演奏家としてはこれまで中山良夫、大平貴規、廻由美子、若林暢、向山佳絵子、菊地知也、矢野晴子、野口千代光、半田美和子の各氏をはじめ数多くの音楽家と共演し、桐朋学園大学卒業演奏会、ザ・シンフォニカ定期演奏会等に出演する。2002年には日本クラシック音楽コンクールで伴奏者としてグランプリに貢献する。 指揮者としてはオペラ、現代音楽からピアノの弾き振りまで幅広く活動し、E.マッツォーラ氏、キンボー・イシイ・エトウ氏、三石精一氏等のアシスタントを務める一方、大阪市音楽団、都響アンサンブル・アロイヴ、上野学園大学管弦楽団、桐朋学園 Orchestra Alba、同チェロアンサンブル、ブルーメン・フィルハーモニー、グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ、TAMA21交響楽団「第九」、日本IBM管弦楽団、ソニー・フィルハーモニック・オーケストラ、東京オペラシンガーズ、二期会試演会等々、また一柳慧氏の推挙により氏のオペラ「モモ」を指揮する。共演した演奏家も、菅原淳(打楽器)、山岸博(ホルン)、鈴木良昭(クラリネット)、篠原正志(ギター)、山口裕子(ハープ)、名古屋木実(声楽)、浜田理恵(声楽)、丸山泰雄(チェロ)の各氏等々と多彩である。 これまでピアノを安藤仁一郎、前川幸子、小林仁、藤井一興、チェロを清水勝雄、毛利伯郎、室内楽を山口裕之、指揮を堤俊作、高関健の各氏に師事し、古楽演奏解釈では有田正広氏の薫陶を受ける。 二期会オペラ研修所指揮者、東京オペラ・プロデュース副指揮者、尚美学園非常勤講師を歴任し、現在、上野学園大学非常勤講師、東京農業大学農友会管弦楽部常任指揮者、みたかジュニア・オーケストラ指揮者、クール・ブリアーン指揮者、ザ・シンフォニカ副指揮者。 |
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ザ・シンフォニカって、どんなオーケストラ? | |||||||||||
1986年の発足以来、どんな年でも4ヶ月の合奏活動と2ヶ月のオフを繰り返すことで仕事や生活の辻褄を何とか合わせきた集団がここにあります。 一言で言うと何でもない事に聞こえますが、いわゆる「世代オケ」として誕生した「ザ・シンフォニカ」が15年以上の活動を通して世代の広がりやライフスタイルの多様化に対応してこれたのも「オフ」のおかげなのかと感じるこのごろです。 大げさな団員募集の宣伝なしでも新しいメンバーを授かってこれたことに感謝するとともに、今後さらに門戸を開いた懐の深い集団として新しい仲間を迎えながらじっくりと「ザ・シンフォニカ」の音を創っていくことが四半世紀に向けて私たちに課された使命と感じております。 今回で3回目のご指導をいただく山下先生の想いを的確に響きにすべく、難曲「ベト4」には正面から取り組み、そして「ドン・キホーテ」には、川上先生、成田先生のお力添えもいただきながら、物語の運びなども思い描いてまいりました。 この春、新しい試みとしてオフを返上しての音楽イベントのお手伝いを行った効果と併せ、一段と成熟した響きを皆様にお届けできるよう、本日もがんばります。 |
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今後の演奏会情報 | |||||||||||
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