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ザ・シンフォニカ 第42回定期演奏会 | ||||||||||||||||
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指揮者の紹介 | ||||||||||||||||
キンボー・イシイ=エトウ( Kimbo Ishii-Eto) | ||||||||||||||||
ニューヨークを中心にヨーロッパ、アジアで活躍しているキンボー・イシイ=エトウは、今後が期待される指揮者の一人として注目を集めている。 現在、ニューヨーク州カユーガ室内管弦楽団の音楽監督およびベルリン・コーミッシェ・オーパー(KOB)の首席カペルマイスターを務めている。2006/2007のシーズンでは、オッフェンバック「ホフマン物語」、リムスキー=コルサコフ「金鶏」、「こうもり」、「セヴィリアの理髪師」、「フィガロの結婚」などのほか、オーケストラ・コンサートも予定されている。 ゲスト・コンダクターとして、ポツダム室内アカデミー、ドイツ室内管弦楽団、アウグスブルク歌劇場管弦楽団、ボーフム交響楽団、ネザーランド・フィル、スロヴァキア・フィル、マンチェスター・カメラータ、シレジア・フィル、ソナユラン交響楽団、ボストン交響楽団室内管弦楽団、コスタ・リカ国立交響楽団、リマ・フィル、上海交響楽団、台湾国家交響楽団、中国放送交響楽団等を指揮している。日本においては、NHK交響楽団、新日本フィル、読売日本交響楽団、日本フィル、群馬交響楽団、名古屋フィル、京都市交響楽団、大阪シンフォニカー、九州交響楽団、札幌交響楽団などを指揮している。 幼少期を日本で過ごしヴァイオリンを風岡裕氏に学ぶ。12歳で渡欧、引き続きヴァイオリンをウィーン市立音楽院でワルター・バリリ、さらにジュリアード音楽院にてドロシー・ディレイ、ヒョー・カンの各氏に学んだ後に指揮に転向。 1992年より小澤征爾、マイケル・チャーリー、小松長生の各氏に指揮法を師事、またマネス音楽院にて楽曲分析及び作曲法を学ぶ。1993年、1995年のタングルウッド音楽祭に奨学生として参加し、グスタフ・マイヤー、レナード・スラットキン、デイヴィット・ジンマン、サイモン・ラトル各氏に師事。1995年、デンマークで開催されたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで4位に入賞。 1996年から98年まで、ボストン交響楽団とニューヨーク・フィルの定期演奏会、及びタングルウッド音楽祭にて小沢征爾、サイモン・ラトル、ベルナルド・ハイティンク、ジェイムズ・コンロン、アンドレ・プレヴィン各氏の副指揮者を務めた。 2007/08シーズンよりアマリロ交響楽団(テキサス州)第16代音楽監督。(2007年3月現在)/(photo (C)Kameda) | ||||||||||||||||
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副指揮者の紹介 | ||||||||||||||||
内藤 佳有 (Karl Naito) | ||||||||||||||||
「僕には教える自信がない。(小澤征爾)」 「With respect and love!(Kimbo Ishii-Eto)」 東京大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部ソリスト・ディプロマ・コース (指揮専攻)で空前の成績を修める。ピアニストとして「日本の作曲家’97」、ロイヤルメトロポリタン管弦楽団、桐朋学園大学卒業演奏会、ザ・シンフォニカ定期演奏会などに出演、2002〜04、06年日本クラシック音楽コンクールにおいて伴奏者としてグランプリ・最高位に貢献する。指揮者として新日フィル、大阪市音楽団、都響アンサンブル・アロイヴ、TAMA21交響楽団「第九」、東京オペラシンガーズ、二期会試演会、栗友会合唱団、一柳慧氏の推挙により氏のオペラ「モモ」等を指揮、また上野学園創立100周年記念定期演奏会(横山幸雄、矢部達哉、原田禎夫、島崎智子、村上曜子の各氏と共演)を大成功に導く一方、アシスタントとしてG.ボッセ、三石精一、早川正昭、飯守泰次郎、大山平一郎、H.シェレンベルガー、金洪才、今村能、松尾葉子、現田茂夫、山下一史、E.マッツォーラ、キンボー・イシイ=エトウの各氏らの信頼も厚い。二期会オペラ研修所指揮者、東京オペラ・プロデュース副指揮者、尚美学園講師を歴任し、現在、東京農業大学農友会管弦楽団常任指揮者、みたかジュニア・オーケストラ及びクール・ブリアーン指揮者、ザ・シンフォニカ副指揮者、三鷹市芸術文化振興財団理事、上野学園大学非常勤講師。2005年より新日フィルで音楽監督C.アルミンク氏のアシスタントを務めている。 | ||||||||||||||||
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曲目の紹介 | ||||||||||||||||
ニールセン:交響曲第5番 | ||||||||||||||||
今年は北欧の代表的なふたりの作曲家、フィンランドのシベリウス没後50年、ノルウェーのグリーグ没後100年にあたりますが、同じ北欧のデンマークで最も有名な作曲家といえば、カール・ニールセンの名があげられます。シベリウスと同じ1865年に生まれ、1931年に亡くなるまで、多くの傑作を残しました。音楽好きの父親の影響でヴァイオリンを始め、コペンハーゲンの音楽院で作曲を学び、卒業後は王立劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となって経験を積み、後にこの楽団の指揮者となりました。第1次世界大戦後の1920年から22年にかけて作曲された交響曲第5番は、ユニークな2楽章構成による、変化と起伏に富んだドラマティックな作品で、彼が残した6曲の交響曲中の最高傑作といわれています。 | ||||||||||||||||
バルトーク:「中国の不思議な役人」演奏会版 | ||||||||||||||||
ベーラ・バルトークはハンガリーに生まれ、米国で客死した、ロマン派末期から20世紀音楽への橋渡しに重要な役割を演じた作曲家です。その彼によって作曲された3大劇場音楽の最後を飾る「中国の不思議な役人」は、その内容が不道徳的であると見做されたことから、作曲者の生前に、故郷ブダペストでの完全な上演がついに実現できなかったという、曰く付きの大作です。メニュヘールト原作による、この1幕のパントマイムのための音楽は、バルトーク自身、「私がこれまで書いたなかで最高の管弦楽曲です」と明言したほどの傑出した出来栄え。今回、最新の検証を経て出版されたユニバーサル社の完全版(2000年版)から、演奏会版を取上げます。 | ||||||||||||||||
ラヴェル:ラ・ヴァルス | ||||||||||||||||
「ラ・ヴァルス」という曲名は、フランス語でワルツのことです。ラヴェルは、若い頃から「交響詩風のワルツ」を着想していましたが、バレエ音楽として1920年頃に完成させました。ラヴェル自身の言葉で「渦巻く雲の切れ目から、ワルツを踊る人々の姿が見える。雲が次第に晴れ上がると、群集で埋め尽くされたホールの姿がはっきりと見えてくる。ホールは徐々に明るくなり、シャンデリアの光は燦然ときらめく。1855年頃のオーストリアの宮廷である」と、この曲のイメージを説明しています。低音楽器中心の不気味な導入部から、徐々にワルツの全容が現れ、最後はワルツの崩壊を暗示するかのような圧倒的なクライマックスで終結します。ラヴェル壮年期の傑作の1つです。 | ||||||||||||||||
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ザ・シンフォニカよりごあいさつ | ||||||||||||||||
ザ・シンフォニカは1986年、大学を卒業したての新米社会人と学生を中心に発足しました。20周年も越え、メンバーの大半が職場や家庭で重要な役割を担う世代になり、時間的な制約が厳しくなる中、「良い音楽」への思いを強くし、何よりも「このオーケストラが好きだ」という気持ちで現在まで活動を続けてきました。 今回はキンボー・イシイ=エトウ先生を2年ぶりにお迎えし、1920年前後に生み出された傑作3曲に挑みます。ひとりでも多くのお客様が、私どもと演奏を通して素敵な時間を共有してくださることを願いつつ、団員一同、練習に励んでいます。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。 | ||||||||||||||||
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今後の演奏会情報 | ||||||||||||||||
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前回演奏会情報 ザ・シンフォニカのページへ | ||||||||||||||||
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