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ザ・シンフォニカ 第53回定期演奏会 | ||||||||||||||||
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指揮者の紹介 | ||||||||||||||||
三石 精一(Seiichi Mitsuishi) | ||||||||||||||||
東京藝術大学指揮科卒業。1956年メノッティ作曲「泥棒とオールドミス」「電話」の指揮でデビュー。1959年にはブリテン作曲歌劇「小さな煙突掃除」、ラベル作曲歌劇「スペインの時」を初演するなど、当初は主にオペラ、バレエで活躍し、脚光を浴びる。1977年、文化庁芸術家在外研究員として派遣され、ウィーンフィルとミュンヘン国立歌劇場で研鑽を積み、1978年帰国。1979年読売交響楽団専任指揮者に迎えられ、1981年の同楽団ヨーロッパ公演では、東ベルリンなどで大成功を収める。1986年退団後、全国各地のオーケストラに客演して活躍する一方、東京音楽大学指揮科主任教授として後進の指導にあたり、2002年名誉教授となる。
1997年、東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団設立に当り、音楽監督・常任指揮者に就任し、2011年退団するまでの15年間、同団の育成と向上発展に多大な貢献を果たした。
現在、東京音楽大学名誉教授、E.カニングハム記念青少年音楽協会会長。(2012年現在) | ||||||||||||||||
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曲目の紹介 | ||||||||||||||||
ストラヴィンスキー:「火の鳥」組曲(1919年版) | ||||||||||||||||
ストラヴィンスキーが1910年に作曲したバレエ音楽『火の鳥』には、オリジナルの全曲版の他に作曲者自身の手による3種類の組曲が存在します。その中でも今回演奏する『1919年版』組曲は最も一般的に親しまれてきたもので、初めて『火の鳥』の音楽に触れたのがこの組曲だったという音楽ファンも多いのではないでしょうか。ここでは全曲版22曲の中から7曲が選ばれていますが、それに伴いオーケストラの編成は全曲版のほぼ4管編成から一般的な2管編成へと変更されています。打楽器も含め使用楽器が大幅に減ることにより個々の奏者の力量が浮き彫りになりやすく、演奏する側にとっては一層高い技量が要求される版と言えるかもしれません。近年は以前に比較して全曲版の実演やCD発売が増えてきており、今回の『1919年版』の演奏は案外貴重な機会となりそうです。 | ||||||||||||||||
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 | ||||||||||||||||
ショスタコーヴィチは、旧ソ連・スターリンの独裁体制のもと、不条理な批判にさらされて、苦難の人生を送った作曲家でした。 交響曲第10番は、形式主義的としてソヴィエト当局から批判された交響曲第9番からはるか8年を経た、1953年の夏から秋にかけて作曲されました。この年の3月には、スターリンが死去しています。このタイミング、及び曲の内容も含め、芸術表現の自由化に向かう記念碑的な作品といえます。 1954年にショスタコーヴィチは、「ひとつだけ言いたい。この作品で、私は人間的な感情と情熱を伝えたかったのだ」と言っています。これを表すように、曲全体を通して、自身の名前のドイツ語表記SCHostakowitschからとった音列レ・ミ♭・ド・シ(D-S[Es]-C-H)による旋律とその変化形が多用されています。特に第4楽章でのD-S-C-Hの執拗な反復は、彼の「心からの叫び」そのものなのでしょうか。 | ||||||||||||||||
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ザ・シンフォニカよりごあいさつ | ||||||||||||||||
ザ・シンフォニカは1986年、大学を卒業したての新米社会人と学生を中心に発足しました。25周年を越えた現在、メンバーの大半が職場や家庭で重要な役割を担う世代になりましたが、時間的な制約が厳しくなる中、「良い音楽」への思いを強くし、何よりも「このオーケストラが好きだ」という気持ちで現在まで活動を続けてきました。 今回は三石精一先生を2年半ぶりにお迎えし、20世紀を代表するロシアの作曲家、ストラヴィンスキーとショスタコーヴィチの作品に取り組みます。ひとりでも多くのお客様が、私どもと演奏を通して素敵な時間を共有してくださることを願いつつ、団員一同、練習に励んでいます。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。 | ||||||||||||||||
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今後の演奏会情報 | ||||||||||||||||
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